京都らしい場所案内Blog コーエイのスタッフが京都の街をご案内します。

・koei: 2014年6月のブログ

保津峡

iga
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だんだんと暑さが増し夜は涼しさがありますが、 日中なんかはもう真夏では! と感じる季節となりました。     お久しぶりです。製造部の伊賀です。     早速ですが今回ご紹介するのは 亀岡から嵐山間の渓谷を流れる 「保津峡」をご紹介しようと思います。     ここ保津峡には川下りやトロッコ列車など 観光ルートの一つとして有名です。     こちらには嵯峨嵐山駅から乗れるトロッコ列車に 乗ることで、ハイキングコースにピッタリの保津峡駅や 保津川下り乗船場や亀岡の湯ノ花温泉などに 行くことができます。     列車に乗っている間にも保津川渓谷の傍を走るので 景色を楽しみつつ涼も感じることが出来るので、 この時期京都に来る方には是非おすすめです。     それではまた。......
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2014年6月30日 | カテゴリー:見る遊ぶ  |  スタッフ紹介へ

東福寺

hashimoto
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少しずつ夏が近づく様を楽しみにしている 商品管理部の橋本です。       今回は京都の南東にあります、東福寺を紹介したいと思います。       東福寺は京都五山の第四位の禅寺です。     また紅葉で有名なお寺で、毎年多くの人で賑わいます。     紅葉もよいのですが新緑の季節も違った景観が楽しめます。       京都のさまざまな所で、見ごろとされている季節はありますが、 その季節以外に来られても、違った景色など 思いもよらない出会いがあるかもしれません。       京都に来て頂ける皆様にとって、よい時間でありますように。......
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2014年6月23日 | カテゴリー:  |  スタッフ紹介へ

あちらこちらへ。

maeda
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こんにちは。 営業の前田です。     梅雨に入り、京都はジメジメとした気候になってきました。     今回、ご紹介するのは、京阪三条から東に位置する、 『本山要法寺』というお寺さんです。 ちなみに、「ようほうじ」ではなく「ようぼうじ」と読みます。     建立は1308年(延慶元年)、と非常に歴史ある お寺なのですが、 ここの特徴は、これまでの移転の数々なのです。 京都山城に始まり、六角油小路→寺の焼失により大阪堺に→ 五條坊門堀川→京極二条東(現寺町二条)→現在の地に。     もう1つの特徴として、市内中心部でありながら 1万3500平方mの境内をもち、 1724年(享保9年)に伏見城から移築した『表門』や 1857年(安政4年)伏見城から移築した『西門』など 歴史ある建築物が並んでいる点です。     これからの時期、雨も多くなり、湿気の多い季節ですが、 1度足を運んでみてはいかがでしょう?......
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2014年6月16日 | カテゴリー:見る  |  スタッフ紹介へ

信長公墓

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時は、天正10年6月2日(西暦でいうと1582年6月21日) 天下統一まであと一歩というところまできていた、   織田信長は京都・本能寺に宿泊していた。     毛利家と交戦中の羽柴秀吉からの援軍要請に応じる為、 中国遠征準備を進めていたのだ。     2日未明、先だって中国に向け進軍していた 明智軍1万3千は、桂川を渡ったところで   「敵は本能寺にあり」   という光秀の言葉で京に進路を変える。     早朝、馬の嘶きや物音に目覚めた信長が 小姓・蘭丸に訪ね様子をうかがわせた。     小姓衆は最初下々の者の喧嘩だと思っていた。     だが 「本能寺はすでに敵勢に包囲されており 多くの旗が見えていた。明智光秀である。」と 報告され、光秀が謀反に及んだと知る。     蘭丸らは信長に対し、 本能寺から逃れるよう進言したが、 脱出は不可能と悟り、 「是非に及ばず」と言い放ち、   弓、槍を持ち交戦するも殺到する兵から 槍傷を受けたため、 それ以上の防戦を断念。     信長は蘭丸に火を放たせ、   自刃したと言われる。         これが本能寺の変である。       現在の本能寺は天正19年(1591年)に 豊臣秀吉の命で、 現在の場所へと移転している。     境内には、信長の自刃後、 三男信孝の命によって 建てられたといわれる 信長公廊、お墓があり 本能寺の変で亡くなられた方々を 供養されています。     また、毎年6月2日には「信長公忌」という ご命日法要が執り行われています。     何百年も昔の人物、 にわかには信じがたいものですが、 こうして現存するものがあると、 本当にいたんだなと実感させてくれます。       ということで、この時期だから お勧めできるスポットをご紹介致しました。     それではまたの機会に、営業の上田でした。    ......
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2014年6月 9日 | カテゴリー:学ぶ見る  |  スタッフ紹介へ

京都ホテルオークラ(桂小五郎像)

tai
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どうも、営業の田井です。 皆さま、ごぶさたしております。       京都は梅雨に突入する前ということで、 暑い日々が続いております。     京都観光に来られる際は、 十分に暑さ対策と水分補給をして、 名所見学をされるのが良いと思います。     皆さんは京都に泊まる時のお宿はどうやって決めますか?       お値段や立地、お料理や部屋の雰囲気など、 色々な項目があるとは思いますが、 今回は「歴史好きな人ほど」、泊まって欲しい場所を 紹介致します。       それは「京都ホテルオークラ」です。       京都ホテルオークラの起源は神戸の実業家の 前田又吉という人が1888年に創業した旅館 「京都常盤(きょうとときわ)」という旅館が起源なのだそうです。       その後、買収や業務提携などがあり、 現在の京都ホテルオークラになったのですが、 京都ホテルオークラの高さ60mは京都市中心部のビルとしては、 京都駅ビルと並んで最も高いビルとなっております。       実は、この「京都ホテルオークラ」。       幕末期はあの有名な長州藩邸があった場所なのです。       長州藩邸だった名残は、 敷地の中にある「桂小五郎の像」が有名です。       桂小五郎は「維新の三傑」と言われている程の人物ですよね。     桂小五郎の奥さんは、幕末動乱期の命の恩人、 京都の芸妓であった幾松です。       この幾松と桂小五郎の話は非常に感動的で、 幕府のおたずね者となって潜伏していた桂に 自分の身を顧みず、 密かに食料などを運んだのが幾松なのです。     倒幕が成り、明治維新を迎えて、 2人は正式に結婚するのですが、 男がどん底の時代に、支え抜いた幾松に、 桂小五郎も相当惚れていたのでしょう。       おっと、かなり話が脱線しましたが、 京都に来た際は、京都ホテルオークラの 桂小五郎像に是非是非お越し下さいませ。 その時は是非、日頃の感謝をあらわして、 大切な人と来られるのはどうですか(笑。       ではでは、これにて失礼致します。       また次回。......
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2014年6月 2日 | カテゴリー:見る  |  スタッフ紹介へ

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コーエイのスタッフ達が観光スポットにはのっていない穴場や有名スポットの情報などを紹介してくれます

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