京都らしい場所案内Blog コーエイのスタッフが京都の街をご案内します。

信長公墓

ueda
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時は、天正10年6月2日(西暦でいうと1582年6月21日)

天下統一まであと一歩というところまできていた、

 

織田信長は京都・本能寺に宿泊していた。

 

 

毛利家と交戦中の羽柴秀吉からの援軍要請に応じる為、

中国遠征準備を進めていたのだ。

 

 

2日未明、先だって中国に向け進軍していた

明智軍1万3千は、桂川を渡ったところで

 

「敵は本能寺にあり」

 

という光秀の言葉で京に進路を変える。

 

 

早朝、馬の嘶きや物音に目覚めた信長が

小姓・蘭丸に訪ね様子をうかがわせた。

 

 

小姓衆は最初下々の者の喧嘩だと思っていた。

 

 

だが

「本能寺はすでに敵勢に包囲されており

多くの旗が見えていた。明智光秀である。」と

報告され、光秀が謀反に及んだと知る。

 

 

蘭丸らは信長に対し、

本能寺から逃れるよう進言したが、

脱出は不可能と悟り、

「是非に及ばず」と言い放ち、

 

弓、槍を持ち交戦するも殺到する兵から

槍傷を受けたため、

それ以上の防戦を断念。

 

 

信長は蘭丸に火を放たせ、

 

自刃したと言われる。

 

 

 

 

これが本能寺の変である。

 

 

 

現在の本能寺は天正19年(1591年)に

豊臣秀吉の命で、

現在の場所へと移転している。

 

 

境内には、信長の自刃後、

三男信孝の命によって

建てられたといわれる

信長公廊、お墓があり

本能寺の変で亡くなられた方々を

供養されています。

 

 

また、毎年6月2日には「信長公忌」という

ご命日法要が執り行われています。

 

 

何百年も昔の人物、

にわかには信じがたいものですが、

こうして現存するものがあると、

本当にいたんだなと実感させてくれます。

 

 

 

ということで、この時期だから

お勧めできるスポットをご紹介致しました。

 

 

それではまたの機会に、営業の上田でした。

 

 


2014年6月 9日 | カテゴリー:学ぶ見る  |  スタッフ紹介へ

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